COUNTER


Access Analysis

tabelog.com


2014年12 月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
Powered by Typepad

« 紅葉狩り - 「大柳川渓谷」 | メイン | しちりん★忘年会 »

コメント

みゆき

>クリスマスの本来的意義を考えていない日本人の特性が端的に表れていると思う。

そうなんでしょうね。
もはや完全にイベントと化していて、それはそれで良い面もあるとは思いますが、やっぱり公的な場では一応わきまえてほしいなぁと思います。日本は一般的に、宗教に無神経な場面が多いような気がします…。

デパートやショッピング街のツリーは消費を盛り上げる為だと思いますが、
東京証券取引所のツリーは何のためにあるんですかね?
渋谷さんのような疲れたビジネスマンを癒すためですか…?

H.takahashi - maha

ご無沙汰しています。

>クリスマスの本来的意義を考えていない日本人の特性
玉串料訴訟や、地鎮祭関係の訴訟といい、また、アイセックでは明治神宮イベントといい、なにかと宗教意識の希薄さに基づく問題が絶えないですね。


論点は違うのですが、最近は個人的に宗教とは何かがよく分からなくなってきています。
思うに、公的機関における宗教志向に関しての反対意見は、自らの信仰の自由を犯された怒りというよりも、無神論者が大半の日本においては、信仰の不合理性の強要への反発がむしろ多くを占めているような感覚を覚えます。
(統計情報があるわけではないので確かではありませんが、例えば実感として共産党や社会党など、声を上げてこのような事態に反対しますね、一方で日本キリスト教会や新興宗教はどうでしょうか?あまり聞きません。)

このような状態をみるに、
・信仰=不合理/非論理
とみなす、懐疑性に乏しい実証主義的な発想に基づく図式が、我々の宗教世界・精神世界の脆弱性を助長せしめているように思えるのです。

無論、安易な実証VS観念という形で僕は反論を展開しているわけではありません。僕は、人間の主観が介在する限り、あらゆる学問はどこか帰謬法的な堂々巡りを繰り返してしまい、なにものも実証性を担保しえないと思うのです。ですから、宗教と科学、あるいは宗教と経済の境を明確に区分する行為自身が、どこか超宗教的行為のように感じてならないのです。

H.takahashi - maha

長くなったので続きです。

以上踏まえると、どうも、東京証券取引所にクリスマスツリーをおく行為が、賛成も反対も出来なくなってしまうわけです。宗教行為の安易な形骸化は無論望むところではありませんが、一方で、システム化された視点での宗教行為への反論も首肯するには難しい。

例えば、ある見方をすれば、この事態は極めて深く宗教的な事態とも取れると思います。ここで、「神」という一つの存在あるいは作用を共通用語と設定すると、ドストエフスキーが描く神を信じられぬロシアの人々(例えばカラマーゾフの兄弟のイワン)、ニーチェ個人が背負うような神を信じたいがあまり神を否定する姿勢、サド侯爵の性的暴虐による神からの自由への志向、、現代の人間もまた、クリスマスツリーを「無思考」で飾ることで、「神の無視」という形で神に挑戦しているように、僕には見えるのです。

「クリスマスの飾りつけしたほうが、楽しいからいいじゃん?きれいだからいいじゃん?」

この類の言葉によって築かれたソドムの中、人々は幸せな生と死を迎えているという現実を、どう説明したいいのでしょうか?

僕にはよくわかりません。悪魔崇拝も、あるいは無信仰も、無思考もまた、宗教なのではないでしょうか?

akiyon

マハさんのコメントはもはや私の理解超えています・・・

キリスト教の比較的多いシンガポールのクリスマスムードから逃げるようにして帰ってきたと思ったら、あら勘違い!東京のお祝ムードも盛んなもので。どこにでもクリスマスの装飾が見られ、なんとなく「祝わなきゃなんないの?」て押し毛がましくも思いました。宗教を超越したイベント化されているとはいえ、無頓着ですよね。
クリスマスなんてまっぴらな私は、さらに逃げるようにして田舎に帰ってまいりました。ここでは不景気を反映してか、人口減少を反映してか、盛んではありません。ほっ。

サメ

http://www.japantimes.com/cgi-bin/geted.pl5?ed20051211a1.htm
日本のクリスマスの一番嫌いなところ:プレゼント期待額調査。効果のプレゼントを期待するのはまずやめて欲しいです。クリスマスはもらう季節より、あげる季節です。

以上、クリスマスをドイツで過ごすことにしたドイツ人でした。

この記事へのコメントは終了しました。